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今月のみ教え(アーカイブ25-12)

2025年12月



 氏子、神はまめな体を与えてやってあるのに、持病じゃ持病じゃ言うて、一生持って患うから、どうならんがな。


 「人心」と「神心」という言葉があります。色々なことを考えていく上でとても重要な手がかりになる言葉だと思います。私たちは様々な事柄に対して、自分なりに判断して対処しています。知恵や情報、経験をふまえて適切な判断ができることが望ましいわけですが、それを根っこから左右するのが「我が心」であることを忘れてはなりません。「我が心」の働きには、どうしても様々な我情我欲が絡んでまいります。ですから、たとえ優れた知識や情報、常識を身につけていたとしても、「人心」のなかで物事を見聞きし、考えている限り、神様の目からご覧になって、それが助かる道を開くものなのかどうかは危ういことだと言えます。たとえば、体に患いがあるとき、それを悪い意味であきらめて、先行きを悲観し、苦しむことがよくあります。金光様はそれを「何事もおかげの中のことじゃからなあ」という眼差しでご覧になり、体の患いを通して開かれる「おかげの世界」を指し示して下さるのですが、私たちはついつい自らの「人心」に頑なになって、その難儀を抱え込んでしまいます。それが神様には残念で悲しくてならない。「何事もおかげになるように」という「神心」の世界に心を開くことが信心のわざなのです。(教会長)
 
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