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今月のみ教え(アーカイブ24-5)
2024年5月
お祓いばかり言うて、信心がなければ、氏子は天地の神に頼んだと思うておっても、神は頼まれておらん。それでは相損じゃ。
お経やお祓いを上げていると、人間のまなざしから傍目で見ると。宗教心がある、信心があると思えるものです。しかし、お祓いを上げながら「いったいどうしたものやら。本当にどうなってしまうのか」などと心配したり、あれやこれやと算段しているとしたら、はたしてそこに神様の力や働きを信じる心があるのかどうか、そもそも心が神様に向かっているのかどうか。とても怪しいと言わざるをえません。人にものを頼む時でも、頼む相手を信用していなかったとしたら、頼まれた相手も頼まれているという実感が生まれず、本気で働くことができないように、神様を信じる心、信じて神様に任せる心がなければ、神様がお働きになる余地がなく、神様に頼んだことにはならないのです。「それでは相損」です。お祓いを上げても、信心(神様を信じて任せる心)がないために、実は神様のお働きを排除して、問題を抱え続けているという人間、他方、人を助けたい一念であるのに、信じてもらえてないがために手出しができず、おかげを授けたくても授けられないという神様、双方が損をする残念な状況が生まれるのです。しかし、信心があれば「神も助かり氏子も立ち行く」というおかげの世界が生まれます。(教会長)