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今月のみ教え(アーカイブ25-07)
2025年7月
信心信心というても、神様に頼むばかりが信心ではない。知らず知らずのご無礼のお断りもせねばならず、日々こうむっておるおかげのお礼も申さねばならず、もちろんお願いもせねばならぬが、お礼の足らぬのはご無礼ぞ。ご無礼を重ねて、どうしておかげになるものか。人が、あほうじゃと言うてもかまわぬ。丁寧にするがよい。神様が、お利口じゃとかわいがってくださる。神様にかわいがってもらう方がよいぞ。
神様に心が向かうことを信心と言いますが、そこには大きく三つの向き方があります。「願う・頼む」こと。「お詫び・お断り」すること、「お礼・感謝」することです。どれも欠くことのできないことですが、ここでは「お礼の足らぬのはご無礼ぞ」と、とりわけ「お礼」の大切さが説かれています。
よく考えてみると、「お願い」がこれから先のことであるのに対し、「お詫び」と「お礼」はすでに行ったこと、起きたことに関わり、「お詫び」が自らの行いに対するものであるのに対し、「お礼」は神様が成して下さったことに対するものです。ということは、「お礼」とはすでにわが身が神様の「おかげ」を蒙っているということが大前提となっています。そこには、「神様のおかげだ。ありがたい」という実感があります。
「有難い有難いという人には、有難いことばかりが起こってきます」という三代金光様のお言葉がありますが、「ありがとうございます」というお礼の心には、神様のおかげへの不安や疑いがなく、神様のお働きを受ける構えが備わっているのだと言えます。それは神様からご覧になったらとてもかわいいことなのでしょう。(教会長)
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