金光教中野教会ホームページ
トップ
今月のみ教え
教会・信徒会行事
お知らせ
活動報告・行事参加報告
アクセス
アーカイブ
2025年12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
2024年12月
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
3月
2月
1月
今月のみ教え(アーカイブ24-1)
2024年1月
的は無的の信心を授けておくぞ。一心を定めて、いただくがよし。おかげは受け勝ち。守りは受け得。おかげ受けたら、ご恩を忘れてはならぬぞ。
「的は無的」という言葉が何とも謎めいた教えです。「無的」を「的」にするとはどうすることなのでしょうか。しかも、的があればそこに向かって「一心」になることも出来るでしょうが、「無的の信心」に「一心を定めて」それを頂けというのですから、さらに謎が深まる感じがします。
手がかりとして、「的」とは何かについて思いを巡らせてみましょう。的とは、何かを行うときの目標、目当てです。私たちはそこをめがけ、ねらいを定めて、心と体を動かします。うまく目的をはたすと、達成感と喜びに高揚し、的を外すと、残念で悔しい思いに沈みます。定めた的があると、その的にあたったか、外れたかが焦点となります。
これを信心において考えてみましょう。「おかげ」の的を定めてそこに向かって願っていると、思い通りのおかげが頂けたか頂けなかったかが問題となり、その判断ができた段階で、その信心にはいったん終止符を打つことになります。しかし、自分の側から定める的を無くし、神様への一心だけを定めて物事に取り組んでいくと、そのおかげは人間心を超え、どこまでも展開していくものとなります。「おかげは受け勝ち、守りは受け得」といわれるのもそのことと関わるのではないでしょうか。
以上で謎解きができたかどうかはわかりません。的には目指すもの、目標とする人などの意味もあり、その点から「的は無的の信心」について求めることもできます。とにかく大きくて自由な信心を求めていきたいものです。(教会長)