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今月のみ教え(アーカイブ24-1)
2024年1月
的は無的の信心を授けておくぞ。一心を定めて、いただくがよし。おかげは受け勝ち。守りは受け得。おかげ受けたら、ご恩を忘れてはならぬぞ。
「的は無的」という言葉が何とも謎めいた教えです。「無的」を「的」にするとはどうすることなのでしょうか。しかも、的があればそこに向かって「一心」になることも出来るでしょうが、「無的の信心」に「一心を定めて」それを頂けというのですから、さらに謎が深まる感じがします。
手がかりとして、「的」とは何かについて思いを巡らせてみましょう。的とは、何かを行うときの目標、目当てです。私たちはそこをめがけ、ねらいを定めて、心と体を動かします。うまく目的をはたすと、達成感と喜びに高揚し、的を外すと、残念で悔しい思いに沈みます。定めた的があると、その的にあたったか、外れたかが焦点となります。
これを信心において考えてみましょう。「おかげ」の的を定めてそこに向かって願っていると、思い通りのおかげが頂けたか頂けなかったかが問題となり、その判断ができた段階で、その信心にはいったん終止符を打つことになります。しかし、自分の側から定める的を無くし、神様への一心だけを定めて物事に取り組んでいくと、そのおかげは人間心を超え、どこまでも展開していくものとなります。「おかげは受け勝ち、守りは受け得」といわれるのもそのことと関わるのではないでしょうか。
以上で謎解きができたかどうかはわかりません。的には目指すもの、目標とする人などの意味もあり、その点から「的は無的の信心」について求めることもできます。とにかく大きくて自由な信心を求めていきたいものです。(教会長)