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今月のみ教え(アーカイブ24-11)

2024年11月



同じ魚でも、料理人の腕々で味が違う。同じ刀でも、持ち手持ち手で、切れ味も違えば、使い道も違う。人を殺す物にもなれば、救う物にもなり、己の守り刀にもなる。
ご信心しておかげを受けたら、その使い道を誤らぬように生かしてゆかぬと、もったいないぞ。


 「同じ魚」「同じ刀」……といった「同じ」ものやことが、その受け止め方、その活かし方によって、その使い方によって異なる結果を生むということは、よく分かることだと思います。「人を殺す物にもなれば、救う物にもなり、己の守り刀にもなる」というのは、その本質を突いたきわめて印象に残る言い方だと思います。そして、そのことは信心においてもそうだというのです。神樣に願っておかげを頂くと、「有難い」「良かった」ということになりますが、自分の願いに結果が出たのですから、そこで物事が完結したと思うのが普通です。ところが、その「おかげ」は結果ではなく、「使い道」のある道具、素材、プロセスなのです。その「おかげ」に込められた神様の願い、期待、問いを見逃し、見誤ると、せっかくの「おかげ」もそこに止まり、「もったいない」ことになってしまうのです。一つの「おかげ」が次にどのような「おかげ」へと誘うものなのか、お道の信心はそれを求めるのです。(教会長)