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今月のみ教え(アーカイブ24-12)

2024年12月



「この神様のご恩が忘れられますものかいな。寿命をつないでいただきましたのですもの。これを忘れたら罰が当たります。一生忘れませぬ」と、よく高言する者があるが、よう覚えておらぬと、後から後から忘れるぞ。
…略…  一生忘れように忘れられぬようなおかげを受けながら、そのご恩を忘れたら、自分が自分を忘れたも同然じゃから、つまらぬ、もったいないことが、またできてきて、わが身が立ち行かぬようになるかも知れぬ。


 「ご恩Jとは、ある慈しみ、恵みを受け、そのおかげによって事が成っている、ということを実感することだと言えます。ですから「神様のご恩Jを感じているということは、わが身のわが事柄が、神様のおはたらきを受けて成就しているということを実感しているということであり、「神樣のご恩を忘れる」ということは、わが身の事柄が当然できること、自分の力でできることだと考えることと同じことだと言えます。「そのご息を忘れたら、自分が自分を忘れたも同然」という教祖様のお言葉は、「自分」の根拠、根源へと立ちかえらせ、そこに立って歩む事へと誘うお言葉だと言えます。四代金光様のお歌にあるような「何事も世話にならねば成し得ざる我」「全て世話になり支えられ続くいのち」という自覚を促す教えです。中野のお広前にご縁を頂かれていた方に、毎年「〇〇家おかげ日御礼」と、ご自身、ご家族が、それこそ一生忘れようにも忘れられぬような」おがげを頂かれた日の御礼のお届けを欠かさずになさる方がいました。その万にはいつでもどこでも神様と共にあり、何事も神様のおかげと受けて切り拓くという、勇ましさ、力強さ、どっしりとした安定感がありました。信心を生きる人は何と自由で逞しいものかと感じさせる方でした。(教会長)